城なめ歩き     
城跡一覧(奥羽編)奥羽(陸奥) 志波城    
     
志波城
Shiwa Castle
沿革    
 803年 坂上田村麻呂が、最北端の城柵として造営。 
811年 雫石川の氾濫を理由に、徳丹城へと機能が移転される。 
1976-77年 東北縦貫自動車道建設に伴う発掘調査で、この地(太田方八丁遺跡)
  が志波城跡と確認される。 
   
所在地と地図
  岩手県盛岡市上鹿妻五兵衛新田48−1 
     
 
 志波城は、盛岡駅から、南西に約2キロほどのところにあります。地図左下の 「志波城古代公園」とあるところは、志波城の入口で、城はこの入口を入ったところ(目印の場所)を中心に構成されています。
 
なめ歩記   

 上図は「志波城古代公園案内所」前にあった、地元中学の美術部作成の志波城復元図。古の姿がイメージしやすい作品で、右上の正殿を中心にして形成される政庁を、築地塀と堀の外郭ラインで囲む構造をしていることが分かります。「小多賀城」といったところですね。

 そして、こちらが実際の発掘調査に基づく志波城の構造図。当時は城の北に雫石川が流れていた様子で、「後堅固」の造りだったようです。

外郭南門  
  「志波城古代公園案内所」で勉強をした後、外郭南門から見学です。こちらは城柵の正門に当たります。  外郭南門の脇にある志波城関連年表解説板。
 外郭南門の両脇には、復元された築地塀が一直線に伸びています。  外郭南門脇には、志波城の解説板が並んでいます。
 こちらは、外郭南門を右手脇から。この築地塀は圧巻です。  復元整備前の志波城跡(太田方八丁遺跡)の航空写真。
 築地塀を復元する時に用いられた型枠。この中に土を入れて突き固めていきます。  築地塀復元の解説板。
 外郭南門の前には、「外大溝」と呼ばれる堀も復元されています。この堀は築地塀と平行して掘られ、かつては志波城をグルッとひと回りしていたらしいです。堀の右側に築地塀の型枠が少し見えています   さて、外郭南門に接近。「戦国初期の城門です」といっても通用しそうな立派な櫓門です。志波城は「城柵」と言われるだけあって、多賀城の南門とは趣きが異なり、戦闘色が強くでています。
 外郭南門脇から西方を望みます。  外側南門から東方を望みます。築地塀は、途中から生垣で代替されているとはいえ、櫓が連続するのがゴツイです。
 この築地塀を跨いで設置されている櫓。この櫓は6本の柱で支えられていて、残り3本の柱は城の中に建っています。  左の写真の通り、櫓の柱が白木のままで、微妙に曲がった自然素材で造られているのが、なんとも新鮮でした。
 外郭南門を改めて正面から。奥に政庁南門が写っています。  今では黒い外郭南門ですが、復元当時は白い門だったようです。
 中に入って外郭南門を見ます。梯子が設置されていますが、登ることはできません。  外郭南門から西方に伸びる築地塀。この塀の内側の緑の芝の所が、竪穴式住居群の跡が確認されたところで、兵士はここで寝起きしていたと考えられています。
 外郭南門から東方に延びる築地塀。約60mごとに設置された櫓が、圧巻です。  櫓を内側から見ます。櫓上に屋根つきの小さな倉が見えていますが、ここに実際に矢を保管していたそうです。まさに、城郭建築黎明期の「櫓」です。

官衙建物
 外郭南門からは、南大路が一直線に城内へと伸び、この政庁南門へと繋がります。  政庁南門の南東脇には復元された南東官衙が建っています。「志波城古代公園案内所」にお願いすれば内部を見せてもらえます。
 こちらは「トチ葺き」とよばれる伝統工法で仕上げられた官衙建物の屋根。割り板を重ねて屋根を造るそうです。  官衙建物内部で出迎えてくれるお役人さん。こちらでは、この官衙建物の復元工法についてのビデオ上映などがありました。

 政庁 
 それでは政庁に入ります。政庁南門の屋根が反るように造られています。  政庁南門からみた官衙建物の裏側。
 政庁南門には、政庁を直接見られないための目隠塀も復元されています。  政庁内部から見た目隠塀。近世城郭の「蔀」とほぼ機能は同じような気がしますが、この目隠塀には防御効果が求められていなさそうです。
 政庁の内部は広々としています。こちらは政庁南門付近から見た、正殿の跡地(芝生の箇所)。左手の雲に隠れている山は岩手山かな?  こちらは芝生が敷き詰められた場所が、正殿西脇殿の跡地で、その向こうに見えるのが、復元された政庁西門。
 こちらは正殿東脇殿の跡地と、復元された政庁東門。  政庁北門跡から見た、正殿跡、目隠塀、政庁南門。
 そしてこちらが、政庁北門跡からみた政庁の北側。こちらには門は復元されておりません。  政庁北門後から見た、政庁東門。
 ということで、政庁東門を外側から。  政庁東門から、政庁西門を望みます。優美な屋根です。

なめ歩き後記 
   古代の城柵のイメージは、本当に柵で囲まれた小さな砦で、兵士がその中で武装待機
  しているようなものだったのですが、実際は、柵どころか、立派な築地塀が造られ、あた
  かもその中に小さな都が形成されていたんですね。日本 では、大陸の壁で囲まれた都
  城(羅城)の形成が、,近世城郭の総構までなされなかったとよく言われますが、志波城
  は、小さな都城を形成していた感があります。 
   当日は、いたるところで草刈り機がフル稼働していましたが、帰りにこのポスター(→)
  を見つけて、志波城のお祭りがすぐそこに迫っていたための清掃作業だったと分かり
  ました。確かに折角復元したんですから地域起こしにこの城を使わない手はないです
  ね。普段良く見る近世城郭とは全く違う建物がここには建っていて、異世界に入り込ん
  だ気分になれました。 
   

参考文献
 現地配布パンフレット
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