城なめ歩き     
城跡一覧(東国編) 東山道(信濃) 飯田城    
     
飯田城
Iida Castle
沿革   
 室町時代後期 鎌倉御家人の末裔、坂西(ばんざい)氏により築城される。 
1554年 武田信玄が下伊那に侵攻。坂西氏、降伏。 
1562年 伊那郡代、秋山信友が入城。 
 1582年 織田信忠軍、伊那郡へ侵攻。武田方の守将、保科正直は逃亡、坂西織部は敗死。 
  織田家家臣毛利秀頼が高遠城に入り、飯田城には城代を置く。 
  本能寺の変。毛利秀頼、尾張へ去り、代わって徳川家康が伊那郡を支配。 
 1583年 家康家臣、菅沼定利が飯田城に入る。  
1590年 家康関東移封。毛利秀頼、豊臣秀吉家臣として再入城。  
 1593年 毛利秀頼、名護屋で死去。遺領は女婿の京極高知が継承し、飯田城を大改修する。  
 1601年 小笠原秀政、飯田に入封。  
 1613年 秀政、松本へ移封後、脇坂安元が入封。  
 1672年 脇坂氏、播州龍野へ移封後、堀親昌が入封。以後、明治維新まで堀氏の治世が続く。  
   
所在地と地図   
   長野県飯田市追手町2丁目  
   京都のでこの上さんとの諏訪・伊那谷の城めぐり弾丸ツアー初日。猛烈な雨でした。 
   城は長姫神社を本丸に、北西方向へと河岸段丘の上に造られていました。下の地図を「写真」に代えると、河岸段丘の様子
   が良く分かります。
 
なめ歩記   
 城内の解説板にあった脇坂時代の最古の飯田城絵図(北は上です)。
河岸段丘に城が造られた様子がよく分かります。この絵図に曲輪と河
岸段丘を形成した2つの川の名称を入れたのが右のもの。
 谷川と松川は西側から流れてきていて東側で合流し、天竜川へ
と流れ込んでいます。絵図に白いラインを入れていますが、これ
は現在の道路の一部を書き入れたものです。

二の丸(飯田市美術博物館) 
 まずは城の情報(パンフ)を仕入れるべく、飯田市美術博物館へ。
現代の道路(白線)は、本来の二の丸の大通りよりも、大きく北に
ずれています。
 こちらが美術博物館正面入口。城跡の雰囲気を出しています。
 入口の門を潜った右手に、二の丸の大通り(写真左から奥へと伸びる、大きな
複数の石が並ぶ砂利道)
とその側(砂利道の右手)の水路が復元されていました。
 「御用水」なので、上水道なんでしょうね。
 大通りは、本来はさらにやや南(美術館寄り)にあったようです。  左上の写真と反対側から見た復元御用水と復元大通り。
 大通りは二の丸を東西に貫いていましたが、こちらがその西の端。  つまり二の丸に入る虎口の場所で、ここに解説板にある櫓門がそび
えていました。
 この虎口の側には水路がながれていて、その部分が白線で示され
ています。写真中央の解説板には「水路跡」とあります。
 水路は大通りを逸れて、二の丸の南方へと伸びていました。
 二の丸御門からみた水路。白線の先には復元された水路が このような感じでありました。
 「水路跡」の解説板。こちらは、「御用水」と異なり、本来の場所での
復元展示です。
 こちらは上の写真で、水路左側にくっついいた正方形の竪穴に寄っ
て撮影した一枚。こちらの解説板が左下のもの。
 「石組竪穴跡」とよばれていますが、要は洗い場だったようです。  こちらは二の丸御門北側から見た美術館の塀と美術博物館建物。
 こちらは美術博物館前に復元された井戸。  井戸の解説板。
 井戸から本丸へと向かいます。  その途中にあった2つの解説板。詳細は下に掲載しました。
 飯田城、別名長姫城の解説板。このページで使っている縄張図は
こちらの解説板掲載のものです。
 こちらは、いま歩いてきた二の丸の解説板。

本丸(長姫神社) 
 本丸へと入りますが、この辺りが、飯田城の最大の見所の1つです。  二の丸と本丸とを現在結んでいる幅の狭い橋。この橋の下が凄い。
 二の丸側から橋の下を覗くと、そこには巨大な 「空堀」の痕跡が。
 空堀というよりは、二の丸と本丸とを区画する堀切です。なかなかの
深さを誇っています。
 この堀切は道になっていて、そのまま下りて行くと、松川沿いに走る
車道に出られるようです。
 橋を渡って本丸に入ると、かわいらしい柳田國男館に出ます。  柳田先生よりも、今は城歩きです(汗
 柳田館の前を素通りして、長姫神社脇にでます。  そこにあった本丸解説板。神社裏に何か残っているようです。
 長姫社に入って、城の痕跡を見つけに行きます。  長姫社入口の外に置かれたお清めの水・・・なんですが、温泉水で
した。この城、源泉を持っている様子です。
 境内から見た長姫神社の社殿。では、裏手をちょっと失礼します。  裏手は道路と接していて、土盛りが境内との境界になっていました
が、怪しげな土盛りの突出が写真右手に写っています。
 パンフには櫓台跡がこの辺りにあるとあったので、おそらくこれが
その遺構ではなのでしょう。
 境内を出て、長姫社入口正面辺りから駐車場になっている本丸と、
その奥の山伏丸をみます。山伏丸には現在温泉宿が建てられてい
ました。温泉が沸いている城は、初めてです。

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